『わが悲しき娼婦たちの思い出』ガブリエル・ガルシア=マルケス

わが悲しき娼婦たちの思い出 (Obra de Garc〓a M〓rquez (2004))

Gabriel Jose de la Concordia Garcia Marquez
Obra de Garc a M rquez 2004

ガルシア=マルケス『わが悲しき娼婦たちの思い出』を読む。土俗的なイメージも強いガルシア=マルケスだが、これは立派な都市小説である。旧世界の教養を備えたクレオール男性である主人公(90歳)が、見知らぬ他者たち(黒人、ムラートベドウィン族、東洋人、軍人、タクシー運転手など)の闊歩する新世界の騒々しい環境の只中に配置され、あちこち右往左往する様を、猫や血(シミ、体液)といったモチーフを走らせつつ、祝祭的な雰囲気で描き出す。その筆致を見物するのは楽しいし、そのような環境全体が「植民地時代風の建造物」に棲み付いた商売女たちの描写を介して「娼婦」というアイコンに体現させられるあたりのムーブは(その対象選択の胡乱さは置くとしても)美しい。
クライマックスでは、そういった新時代の他者の上に「港に入ってくる船」が巧みに重ね合わされる。それを眺める主人公は言葉を失って沈黙し、眠らせた状態のまま逢瀬を重ねてきたもののある事件以降は会わなくなっていた14歳の娼婦の元へ再び足を運ぶ決心をする。90歳にして訪れた「自分の生きた時代の摩滅/新しい時代=他者との会話不可能性」の自覚と「彼らとの共存状態の前向きな受容」の物語が、前向きな陽気と捨て鉢の狂気の両義性に沈んだまま、過剰の感覚に彩られて、ユーモラスな余韻を残す。ガルシア=マルケスの大著に比べれば小粒の作品なのかもしれないが、その分気楽に楽しめた。

『ミスト』フランク・ダラボン

ミスト (字幕版)

監督:フランク・ダラボン
原題:The Mist
原作:スティーヴン・キング『霧』
2007年 アメリカ 125分

フランク・ダラボン『ミスト』を鑑賞。特徴的なカメラワーク(基本的にドキュメンタリー調で、後半はスローモーションやクレーンショットといった映画的なタッチが増えていく)やクリーチャーのラヴクラフト的造形が魅せる。キャラは良い意味で記号的に造作されており、スーパー内がアメリカ社会の縮図であることを示す手付きは滑らかで、窓/扉といったモチーフの使い方もスマート、音楽は抑制的かつ効果的。ラストシーンにはカフカナボコフに感じるような癒やしの感覚があり、空疎な後味が素晴らしい。

『トイ・ストーリー3』リー・アンクリッチ

トイ・ストーリー3 (字幕版)

監督:リー・アンクリッチ
英題:Toy Story 3
2010年 アメリカ 103分

ピクサー映画『トイ・ストーリー3』を鑑賞。聞きしに勝る傑作だった。2010年公開の映画であるにも関わらず、既に呆気に取られるほどの高みに到達しているCG表現でもって、ありとあらゆるアクション&パロディが繰り広げられる。素直な明るさと楽しさがあり、それでいてゾッとするような深淵がある。ピクサーの面目躍如である。過去作ではバズを通じて「存在の交換可能性」という洒落にならないモチーフが示されていたが、今作ではまさに「存在を交換されてしまった」ロッツォというキャラが登場するのには、心底冷え冷えさせられた。保育園(収容所)→溶鉱炉のシーンなど、脳裏に焼き付いて離れないほど恐ろしく、「神様」のくだりまで含めてほぼ完璧なシークエンスだと思う。

『パフューム ある人殺しの物語』トム・ティクヴァ

パフューム ある人殺しの物語 (字幕版)

監督:トム・ティクヴァ
英題:Perfume: The Story of a Murderer
原作:パトリック・ジュースキント『香水 ある人殺しの物語』
2006年 ドイツ/フランス/スペイン 147分

トム・ティクヴァパフューム ある人殺しの物語』を鑑賞。ジュースキントの原作『香水』が好きなので、不安を抱えつつの鑑賞だったのだが、悪くなかった。主人公グルヌイユに関わった人間達は、彼が去ると、原作通りの速やかさで(残り香の如く)きちんと消滅していくし、彼の驚異的な嗅覚はモンタージュ・360℃パン・空撮等によって適切かつ映画的に表現されている。調香師バルディーニが橋の上に構える店舗のいかにもな外観造形や、暗灰色の中に浮かび上がる薔薇の赤といった、印象に残る画も多い。
問題はナレーションである。原作は「語る」小説なので、その印象を写し取りたかったのだろうけども、映像で十分に描写されたことを再び説明するのには、ちょっと辟易してしまった。同じ文芸原作/18世紀ものならば、キューブリックバリー・リンドン』などは、ナレーションが良い仕事をしていたように思うのだが。
とはいえ、話はやはり面白いし、脚本は過不足無く、音楽は美しく、役者陣も魅力的(特にベン・ウィショーダスティン・ホフマンアラン・リックマン)で、十分楽しめた。
それにしてもグルヌイユの非人間ぶりは身につまされる。

『雪の轍』ヌリ・ビルゲ・ジェイラン

雪の轍(字幕版)

監督:ヌリ・ビルゲ・ジェイラン
英題:Winter Sleep
2014年 トルコ 196分

ヌリ・ビルゲ・ジェイラン『雪の轍』を鑑賞。イスタンブールを「彼方」として抱き、カッパドキアのホテルを舞台として繰り広げられる会話劇。経営者で資産家の男性を主役に、慈善事業にのめり込む若妻、離婚して出戻ってきた妹、使用人、賃借人一家など、様々な階級・職業の人物が画面に立ち現れては言葉を交わす。
カッパドキアの美しい景色と、洞窟のような薄暗い室内空間のコントラストが美しい。演劇的で閉じられた作品空間は、冬になると観光客も居なくなり、ますます閉塞感を増していく。人々は言葉によって隔てられ、移動手段である車は常に不具合に晒されている。野生動物とカメラワークだけが自由である。
ロシア文学チェーホフドストエフスキートルストイ…)やシェイクスピア等からの引用を駆使した緊張度の高いダイアローグで紡がれる物語が、イスタンブールへの移住を諦めた主人公のモノローグで終幕するのには痺れた。シューベルトのピアノ・ソナタは少し浮いている気がしなくもない。