『最後に鴉がやってくる』イタロ・カルヴィーノ

最後に鴉がやってくる (短篇小説の快楽)

Ultimo viene il corvo
Italo Calvino 1949

カルヴィーノの初期短編集『最後に鴉がやってくる』を読む。いわゆるネオレアリズモ的主題を取り扱った作品群で、技巧的には後期作品に及ばず、カルヴィーノを市場においてキャッチーにしている奇想も控え目だが、その分、この作家の本質だと感じる、貧困や暴力、相互理解不可能性、人間性の溶解(しばしばモノのモチーフによって表現される)、既に取り返しのつかないほど壊れてしまっている世界……といったものへの冷え冷えとした認識と、それを小説の「軽さ」の中に捉えなおそうという後期作品まで一貫して続いていく倫理とが、瑞々しく剥き出しになっており、むしろ好みでいえば一番かもしれない。この短編小説群は、「喜劇的」「軽妙な語り口」などと評されながら、実はさっぱり笑えないものを語っている。喜劇にでもするしかない深淵、というやつ。パルチザン青年であった著者が(であるからこそ?)全く幻想から距離を取った目で、これらの作品を書いているのだと思うと、そのお見事さに立ち竦む。

『ルーム』レニー・エイブラハムソン

ルーム(字幕版)

監督:レニー・エイブラハムソン
原題:room
原作:エマ・ドナヒュー『部屋』
2015年 カナダ/アイルランド 118分

レニー・エイブラハムソン『ルーム』を鑑賞。見知らぬ男に7年ものあいだ納屋(ルーム)へ監禁されていた女性が、そこで生まれ育った5歳の息子とともに、脱出に成功するものの、次は外の世界という精神的牢獄(ルーム)に閉じ込められることとなり……という物語。
カメラは基本的に視点人物であるジャック(息子)に寄り添っているのだが、極めて注意深い被写界深度の調節や空間の切り取り方によって、親子が監禁されている物理的には極狭であるはずの納屋(ルーム)が、少なくとも彼にとってはそれなりの豊かさを持った場所であることが伝わってくる作りになっており、まずその巧みさに驚かされる。そしてこの感覚(小さな部屋がデ・ゼッサント的な無限の広がりを持つかのような)は、フィクションを愛するインドア人間にとってはかなりの実感を伴うもののはずで、実際ジャックの生活には、かろうじて室内に置かれたTVや絵本により、『不思議の国のアリス』『モンテ・クリスト伯』『ジャックと豆の木』といった「物語」が常に寄り添っている。
母が息子に言い聞かせている「世界の成り立ち(=壁の外は宇宙空間で、TVに映るものは全て偽物)」すら、彼に対する優しい嘘/物語である。しかし、この虚構の横溢する母子密着空間を打ち破る力を持っているのもまた「物語」だ。母は5歳になった息子に『不思議の国のアリス』を比喩に使って自分は本当はルームの外からやって来たことを説明し、『モンテ・クリスト伯』のアイデアを真似て脱出を計画実行するのである。
偽物/本物の往還を描くこの映画の中でも特に効いているのが「犬」のモチーフで、少女を監禁するための嘘として使われた「犬」は、やがて産まれた息子のルームにおける空想の友となり、脱出時には実在となり(最初に出会う人物が犬を連れている)、ペット禁止期間を経て、最後には現実の友となってやってくる。その過程の傍らで、息子と共に少女(母親)もまた精神的な「ルーム」から開放されていく。
他にも多様かつ丁寧な意匠が張り巡らされており、物語/虚構/嘘/本物といった、本質において映画的なテーマを、母子分離の問題と絡め、サスペンスのある物語にのせて提示しつつ、人生の取り返しのつかなさや人間のくだらなさ等にまつわる乾いた感覚も織り交ぜて複雑な余韻へと昇華した佳作であり、音楽や空間の使い方も効果的で、大変面白く鑑賞した。

『ロシアン・スナイパー』セルゲイ・モクリツキー

ロシアン・スナイパー(字幕版)

監督:セルゲイ・モクリツキー
原題:Bitva za Sevastopol/Battle for Sevastopol
2015年 ウクライナ/ロシア 123分

セルゲイ・モクリツキー『ロシアン・スナイパー』を鑑賞。いわゆる旧ソ連女性兵士もの。伝説的女性狙撃手を主役に、オデッサの戦いセヴァストポリの戦いが描かれる。狙撃戦描写のクオリティが高く、オデッサ撤退時の空中戦等もVFXを駆使した迫力ある映像に仕上がっている。恋愛沙汰が続くのには多少身構えたが、さほどゲンナリさせられることがなかったのは、そこに描出されているのが見慣れた「女であることを求められる苦痛」ではなく(その要素も入ってはいるが然程シリアスではない)、主に「女であることを奪われる苦痛」であり、それが非常に新鮮だったからかもしれない。ハイヒールや女性用下着を焼かれ、激戦地に放り込まれ、銃を抱えて走り回り、狙撃を愉しむ事態にすら陥りながら、恋人の息子を妊娠したいと願う女たち。それが「反動」でもなく「萌え」でもなく、ただ泥と血と酒にまみれたリアルとして示されているのには目を見張った。勿論、性交相手に選ぶのは、命を預け合う狙撃手仲間のみである。

『スリ〈掏摸〉』ロベール・ブレッソン

スリ ロベール・ブレッソン [Blu-ray]

監督:ロベール・ブレッソン
原題:Pickpocket
1959年 フランス 76分

ロベール・ブレッソン『スリ〈掏摸〉』を鑑賞。ドストエフスキー罪と罰』映画版といった趣で、貧しい青年が超人思想に基づいてスリに手を染めるも、社会的制裁を加えられ、無垢な女性によって魂を救済される、という筋書なのだが、『罪と罰』の真の主役がそのハイテンションな記法であり、物語上のアレコレは後景に退いてすら見えるのと同様に、果てしなく連続するガラス窓と、スリという行為を媒介として生み出される異様に研ぎ澄まされた知覚と、種々の手の群れが織りなす自動運動が画面を覆い尽くしてしまうと、プロットなどはちょっとしたおまけに過ぎなくなる。役者陣の機械人形のような存在感が凄い。

『6才のボクが、大人になるまで。』リチャード・リンクレイター

6才のボクが、大人になるまで。(字幕版)

監督:リチャード・リンクレイター
原題:Boyhood
2014年 アメリカ 166分

リチャード・リンクレイター6才のボクが、大人になるまで。』を鑑賞。ある少年が6才から18才になるまでの12年間を、実際に同様の年月かけて撮影している奇作。トリュフォーのアントワーヌシリーズを想起するが、この作品の場合「一本の映画」の中に12年もの歳月が圧縮されているのであり、役者が容赦なく加齢していくそのリアリズムには迫力を感じる。ドラマツルギーに侵されることなく、意味の有ったり無かったりする断片の連続によって紡がれる映像は、一貫して静謐な雰囲気。主役の少年は「アート写真」に傾倒しており、それをフックに鑑賞者の意識はこの物語の形式そのものへと向かうことになる。ここで行われていることは「人生=時間」の異化であり、不測の事態に見舞われることもなく撮影が終了したことへの感慨は、そのまま現実の人生に転写される。
なお「個人の記憶は社会の記憶でもある」ということが実感できる作りになっており、オバマが2014年のベスト映画に選んでいたのは然もありなん。